最後ぐらいは好きなものを食べさせたいと思います。
◆ 最後は人としての気持ちを優先したい
医療には限界があります。
人には老化があります。
誰もが必ず死にます。
生命体としての寿命を迎えるとき、
もう食べられない状態なのは重々承知していますが、
それでも最後ぐらいは好きなものを少量だけ口に入れさせたい。
そういう家族は多いのではないでしょうか。
食べられないんですよ、もう、今にも死にそうなので。
でもそんなことを言いたいのではなく、
最後ぐらいは好きなものを口に含ませてあげたいという人情があります。
食べなくてもいいんです。
そっと、少量だけ好きなリンゴ汁を口に入れる。
当然飲めないので、口から垂れてくる。
それをそっと拭き取る。
それでいいんです。
少量だけでも好きなものを口に含ませてあげたい。
呑めないのは知っています。
そっと拭き取ります。
それでいいじゃないですか。
昔の日本人はそうやって家族で交代しながら最後を看取ったのです。
◆ 賛否両論あるけれど
医療者のなかには、こうした最後の時の関わりについて
賛否両論あるのは知っています。
「絶対だめ、食べられないのに口にいれるなんて、とんでもない!」
という人もいれば、
「まあまあ最後ぐらいは少量だけ口に含ませてもいいんじゃないの」
という人もいます。
ボクは人として最後は好きなものを口に入れてもいいんじゃないかと思います。
医療的にはダメなのでしょう。
それで死期が早まることもあるかもしれません。
しかし、それでもいいから最後ぐらいは好きなものを、という家族はいるでしょう。
そいういう気持ちを大事にしたいです。
最後ぐらいは好きなものを口に入れさせたい、例え食べられなくても。
という家族さんは、それで死期が近づいても文句はないのです。
もう死期がすぐそこに来ているのは分かっているんです。
だから、もし、多少早まったとしてもそれは大きな問題ではないのです。
家族にしてみたら、愛情なのです。
最後ぐらいは、たとえ食べられなくても、という気持ちが大事なのです。
ところが病院ではなかなかそういうことはできません。
在宅ならできるかもしれません。
だって昔の日本はそうやって家族が代わる代わる口にリンゴ汁とかを含ませていたんですから。
そうやって最後を迎えたのです。
賛否両論ありますので、
どっちが正しいとか間違っているとかではなく、
家族が望んだらそういう最後でもいいじゃないか、と思うのです。
それでは最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
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