看護学校で看護とは何か?という定番のことを教えられます。
それは「看護とはアートだ」ということです。
私が看護学校に入学したのが、34歳の時。
これを聞いた時、いまいちピンときませんでした。
「何なんだ?アートって?」「芸術とは思えんけどなぁ…」
実は看護学校の教員もそれほど詳しくは教えてくれず、いつもサラッと流されていました。そのわりに、何かことあるごとに「看護はアートだ」と言われてきました。
そしていまだに私は理解していません(笑)
なんなの、看護はアートって?
◆ もともとはナイチンゲールが言ったのが始まり。
「看護はアート」ということについて、日本赤十字看護大学の谷律 裕子氏の論文があります。
その論文のなかで、「看護はアート」の説明の部分があり、抜粋します。
1893年の著書「病人の看護と健康を守る看護」のなかでナイチンゲールは、看護を指して「新しい芸術であり新しい科学でもあるものが、最近40年の間に創造されてきた(P.125)」と述べています。
ほうほう、芸術ね。
ではどのあたりが芸術といえるのでしょうか。
「看護のアートは、患者が直面している困難や行動のパターンをその人だけに現れる固有の現象として理解する」と記しています。
ちょっと難しいですね。
谷律 裕子氏の論文に書いてある「看護のアート」に関する記述を抜粋してみます。
「看護のサイエンスとアートは別々の現象として確認されるものではなく、実践のなかで統合される」
「看護のサイエンスがもつ合理的普遍的認識力と、看護のアートがその適用過程と通じて働かせる個別・固有の認識力は、看護実践のなかで合一して新しい知を形成する」
「看護はアートとサイエンスの一つの統合体である」
「看護のアートは、看護の対象者が示す、還元主義的な科学的方法だけでは捉えきれない個別・固有な現象を理解し援助するために、看護者に必要とされる認識能力・実践能力である」
「また、そのような能力が発揮されたことにより患者に望ましい変化をもたらされる状況」
ちょっと難しいですねえ。
今度は、東京有明医療大学のHPに「看護はアート」に触れている箇所があります。
同大学のHPからの引用です。
「100年前にナイチンゲールは、『看護は新しく生まれた芸術であり科学である』と明言しました。看護が芸術であるとは、看護師の手によって創られた技術は、一回限り、一人ひとりに適したものであるという意味なのです」
看護技術は目の前の患者さんにとってオリジナルな技術だから芸術といえる、というわけですか。
◆ 医療現場は、「看護はアート」という認識はまったくありませんが…。
これらを読んで考えると、どうも「看護技術が患者にとって最適に働いて、患者が良くなること」がアートだというのでしょうか。その看護技術は一人ひとりの患者の個別性を考えた、患者にとってオリジナルな技術が芸術というのだと。
ケチを付けるわけではありませんが、看護師の持つ看護技術は、一人ひとりの看護師独自の技術ではありません。看護学校で同じ技術を習います。現場に出てからも、他の看護師でもできる同じやり方を推奨されています。シフト制なので、勤務毎に看護師のやり方が変わるとよくないからです。
どの看護師が担当しても同じ処置やケアをしないといけないのです。
なので、、、、現場の看護師としては芸術といわれてもピンときません。
ベテラン看護師の一発で難しい採血を採るとか、点滴の針を血管に入れるとかは、たしかにすごいと思いますが。
◆ 結局、どの分野の人も卓越した技術は、芸術と呼べるのかもしれない。
「看護がアート」というのは、やはり定義というか解釈が難しいです。
真実はシンプルに宿るのなら、難しい言葉を並べて誰にでもわかる言葉で書いてある文献が少ないようなので、看護は芸術だというのは、実は無理があるのかもしれません。
いや、分からないですよ。
だって、簡単に説明できないのですから。
でもまあ、各分野の卓越した技術のことを「芸術」と呼ぶのなら、そしてベテランの技をそう呼ぶのなら、まだ分かります。
看護師というのは専門職なのです。
だから、一人ひとりが技術の向上を目指して日々精進する必要があります。
と考えると、やはり看護師だけにとどまらず、世の中の働く人も同じといえるでしょう。
「看護はアート」と、看護に限って言ってしまうからややこしいのかも?
しかも患者さんが良くなったのは、医師やリハビリ、そして飲んでいる薬のおかげでもあるので、看護師だけが貢献しているわけではない、ということも言葉の解釈を難しくしている気がします。
それでは最後まで読んでくださってありがとうございました。
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