自分のことを周りの人たちはどう思っているのだろうか?

こんなことを言ったら、相手はどう思うだろうか?

これだと周りからおかしいと思われるかな?


私たちは社会のなかで生きていますので、必然的に周りの目が気になります。


なかには「周りの目なんて、気にしないよ」という方もいるでしょう。

しかし多くの人は、特に日本人は、周りの目を気にするものです。


あなたなら、どっちを選びますか?

他人に振り回させれ生きるか、それとも自由に生きるか。


ある患者さんが、

「こんな体になって・・・近所や友だちに見られるのが恥ずかしい」

とおっしゃっていたのが印象的でした。








◆ 杖や装具、車いすを使っていると恥ずかしいですか?






先ほどの患者さんは、脳卒中で片麻痺が残りました。

装具を足に付けて歩行をし、杖をついています。

それがどうも気になるそうで、恥ずかしいとおっしゃっていました。


感じる感性は人それぞれです。

ある人はそんなの嫌だと思い、ある人は別にいいんじゃないと思う。


それと、人は自分と違うことを嫌がる。

特に日本人はそういう傾向があります。


集団を重視し、みんなと同じということを良しとします。安心します。


ところが、海外では個性を重視します。

日本ではあまり見かけないユニークな格好をしていても、誰も気にしません。

たとえば学校では制服もなく、鞄も自由。髪型も自由。授業中に足を組んでいても、頬づえをしていても自由。

要は勉強ができれば、成績がよければ、何も文句は言われません。

だって勉強しに学校に来ているんですから。勉強ができる子なら、それでOKという訳です。

大人になっても、この考えです。

優秀であれば、どんな格好でも、趣味でも、しゃべり方でも、歳が若かろうが、OKです。

だって優秀ですから。会社に貢献できれば、業績があがれば、それでOKという訳です。


欧米では車いすの方は、健常者と同じ感覚で生活をしています。

車いすに乗っていても、だれも冷やかしたり、ひそひそ言ったりしません。

歩けなくても、彼は彼。彼女は彼女。なにも変わりません。

車いす生活でも彼の価値は変わらないから、誰も気にしないし、以前の評価から下がることもありません。

だって、あなたそのものに価値があるのですから。


◆ 卑屈になるか、這い上がるか。

たしかにショックでしょう。

絶望するかもしれません。

事故にしても、脳卒中にしても、突然きますから。

心の準備なんて関係なく、ある日突然きます。


今までやってきたことができなくなることもあります。

これからやろうと思っていたことができないこともあるでしょう。

将来の計画を大幅に変更しないといけないことになるかもしれません。



いまは昔と違い、非常に様々なことが進化しています。

たとえ障がい者になっても、健常者と同じことができることが多い時代です。


世間も障がい者に対して寛容になり、受容し、仲間として普通に接していくようになってきました。


バリアフリー

ユニバーサルデザイン

介護タクシー

雇用の障がい者枠

エレベーターの車いす用ボタン

など、他にもたくさんの仕組みや取り組みがあります。

これらはひと昔前はなかったものです。


車いすでも一人で新幹線に乗って東京へ行ける時代です。





今や障害を理由にできないことは少なくなりました。


パラリンピックの選手を見てください。

あの姿を見ていたら、なんでもできると思いませんか?

パラリンピックの選手をバカにしている人を、私は見たことがありません。




車いすの社長さんもたくさんいます。

車いすの世界的物理学者 故ホーキング博士のことを、人工声で変だとか変わった車いすで変だとか、そういうことを言う人を知りません。



◆ たとえ麻痺等があっても、あなたはあなた。



親が片麻痺になったら、子どもは親が嫌いになるでしょうか。

子どもが片麻痺になったら、親は子どもを嫌いになるでしょうか。


今まで仲良くしていた友人が車いす生活になったら、絶交しますか。


先の車いすの社長さんも故ホーキング博士も、実績で周りを黙らせている。

だれもバカにしません。


例え実績がなくても、もう時代は変わっています。障害のあるなしに関わらず、やりたいことをやればいいのです。

できる時代ですから。


周りの目を気にして殻のなかに閉じこもるのか、「私は私。これからもできる」と思うか。


周りの目を気にして行動をしなかっても、あなたに何か得なことはないのです。


自分が思っているほどは、周りの人はあなたのことを気にしていません。


犯罪とか道徳とかに反しないのなら、誰かに迷惑をかけていないのなら、もっと自由に自分のやりたいことをやりましょう。

やらない理由なんてないですから。


自由は手足が自由に動かせるという意味ではありません。

自分がやりたいことをやるということです。


それではではでは最後まで読んでくださってありがとうございました。