この2人は親子ではありません。
— ピストン@健康増進認定看護師 (@nursepiston) May 3, 2020
この男の子は自分と同じ身体の人と、初めて出会いました。#LIVE812 #きずな
pic.twitter.com/CFGNVm2cft
人と違うとはどういうことでしょうか。
体形・性格・職業・学歴…
自分が人と違うところは、たくさんあります。
指紋もそうです。
同じ本を読んで感想文を書くと、人それぞれの感想を書きます。
「他者との違い」は、時に差別を生み、誤解を生み、嫌悪感を生みます。
どうしてこのような感情を抱くのでしょうか?
◆ 異端を嫌う、避けるのは大昔からある
いまさらここで1つ1つの歴史を検証していくことはしません。
ボクたちが学校で歴史を勉強したときのことを思い出すと、わかります。
宗教にしても文化にしても、いっぱい対立してきましたよね。
もっと昔ではネアンデルタール人の絶滅もそうです。
今の人類とネアンデルタール人は違う生き物でした。
サル→ネアンデルタール人→人類
という進化をたどったということではなく、
人類がネアンデルタール人を滅ぼしたのです。結局人類が勝ち残ったのです。
自分たちと違うというのは、攻撃の対象でした。
これはボクの考えですが、本能的に違うものを忌み嫌うようなメカニズムがあるのかもしれません。
昔はそれでよかったのかもしれませんが、人類の文化が成熟していくにつれて、
「違っていてもいいんじゃない?」
「それはそれでいいんじゃない?」
「何か悪いことでも?」
とだんだんと許容する考えも広がってきたと思います。
◆ 受け入れるというのも大昔からある
逆に違いを受け入れるということも昔からありました。
ボクの短い人生経験だけでも、幼少期のころと比べると、最近は「他者と違う」ということにずいぶん寛容になってきたと思います。
でもまだありますよ。
偏見や差別は。
ただ、ひと昔前に比べたら、少しずつ暮らしやすい時代になってきたと感じています。
冒頭のTwitterにあるように、
人と違う身体というは先天的なこともあれば、後天的なこともあります。
いろんなケースがあります。
ボクが一番言いたいのは、
「違いを認める」「違いを尊重する」
ということが大切です。
そして、違いがあっても、本人が不幸とは限らないということです。
自分の価値観が相手も同じとは限りません。
もしかしたら、自分と違う身体をしている相手のほうが、もっと幸せに暮らしているかもしれません。
「みんな違って、みんないい」
という言葉がありますが、
守るべき価値観は守って、認めるところは認めて、
お互いそもそも違う人間なわけですから、違いを認めて、
かわいそうとかではなく、
「ああ、とても幸せそうだなぁ」
とお互い思える、気持ちのいい関係でいたいものです。
それでは最後まで読んでくださってありがとうございました。
Twitter≫ピストン@健康増進認定看護師
あっしが行ってた中高では、学校全体が誰言うともなく当たり前の感覚で、人と違うほうがすごい!っていう価値観でやした。
どれだけ人と違うことができるか、考えができるか、ファッションができるか、、、
人真似をしたり誰と似たような人は軽蔑されてやした。
だから社会人になって、人と違うことを異端視する人が世の中にはたくさんいることを知って、いまだにそれが不思議でなりやせん。
私もぼんぼちさんと同じです。人と同じことが大嫌いでした。
ぼんぼちぼちぼちさん>>
そうですよね。
アメリカでは「人と違っているというのはいいこと」と言われています。
褒めコトバです。
ところが社会にでると…
不思議ですよね。
リス太郎さん>>
ね、そうですよね。
自分をもっと出していいはずですね。
私は写真の男の子と同じように一番多い集団に入れない身体に生まれましたから、差別や偏見の対象でした。
現代は確かに緩くなってきましたが、まだまだいっぱいあります。
それが、乙武さんが言うようにコロナの影響でいくつか解消に向かっているのを見ると、
悪いことばかりでもないと感じています。
A・ラファエルさん>>
こうした動きがもっと加速してほしいです。
差別や偏見をもつほうがどうかしているという世界に。