認知症は「忘れる」病気です。
どうしたって忘れるものなのです。
これは認知症の「中核症状」といって、認知症の人なら誰にでもある症状だからです。
年齢による「もの忘れ」とは違います。
年齢によるもの忘れは、たとえば昨夜の晩ご飯は何を食べたかは忘れますが、晩ご飯を食べたことは覚えています。食べたんだけど、どんなメニューだったかを忘れたのです。ところが認知症だと「晩ご飯を食べた」というエピソードそのものがすっぽり抜けてしまいます。晩ご飯を食べたこと自体を忘れるのです。メニュー以前の問題です。だから
「なあなあ、昼ご飯はまだかいな?」
「おばあちゃん、もう食べたじゃない。しっかりしてよ」
「え、食べてへんわ。そやから言っているんやよ」
「食べたってば。さっきやん。一緒に食べたやん」
「えー、食べてへんで。食べたか?おかしいなあ。食べてへんで」
・・・・
とまあこんな会話になるわけです。
ところがこういう会話をしがちですが、何でもかんでも間違いを指摘してばかりいると、相手は意固地になり反発します。認知症ケアにとって大切なことの一つは「共感的態度」です。相手が喜んでいたら一緒に喜ぶことです。
◆ 一緒に喜ぶ、一緒に悲しむ。
老人ホームにいる祖母「もう帰るか?帰りたいわ」
面会に来ている息子「ここは老人ホームや。帰られへんで」
老人ホームにいる祖母「そやけど、帰りたいわ。連れてってよ」
面会に来ている息子「できひん。あかん。ここに泊まるんよ」
老人ホームにいる祖母「帰るわ!帰らして!」
面会に来ている息子「なんでやねん。ずっとここに居るやんか。昨日も一昨日もここに泊まっているやろ。自分で歩けへんし、無理やんか」
・・・・
とまあ、どこの施設や病院でもよくある会話です。
息子の言い分は内容的には正しいのでしょうが、共感をしている内容ではありませんよね。
ついこのように正論をかざして、相手を論破しようとしがちですが、認知症の方に正論を言っても解決の方向にはいきません。なので、このような正しいことを言って相手を説得しようとする人には難しいケアテクニックです。
かつての私がそうでした。
まっとうなことを言って、正論で攻めて、相手が反論できないくらい論破すれば、もうこんなおかしなことは言わなくなるだろうと思っていました。
言葉で勝つということをしていました。
でも結果はダメでした。書籍を読んで認知症ケアでこのような論破する手法はダメと書いてあり、知識としては知っていましたが、実際同じことを何度も何度も言ってくる認知症の人の前に立つと、つい正論で論破したくなるのでした。
認知症の本にも書いてありますが、私が身をもって経験した事からも、こうした共感しない態度で正論で相手を屈服させる手法は、認知症ケアには役に立ちません。むしろ言っている私がますますイライラし、それが相手に伝わり逆効果です。
これは認知症に関わる人がついやってしまいがちな態度です。
でも相手はそういう病気なのです。病気の理解をしつつ、相手の気持ちも理解しながら関わっていくのです。
これに慣れていないと私のように論破の方向に走ってしまいます。
◆ 忘れても笑い飛ばせる心の余裕を持ちましょう。
認知症ケアはプロのテクニックが必要です。ご家庭に認知症の家族さんがいらっしゃるところで、ご家族がうまくケアができているのなら、そのご家族はきっとプロなみの認知症ケアができているはずです。
知ってか知らずかプロがやっているようなケアをしているはずです。
同じ事を何度も何度も言われ続けたらイライラもするでしょう。
しかし認知症ケアがうまくいっている人にはある共通点があります。
それは「笑い飛ばす心の余裕」があるということです。
老人ホームにいる祖母「帰りたい。帰るわ。連れてって」
面会に来ている息子「わははは、ほんまに家が好きやな。帰ったら何しようか」
老人ホームにいる祖母「なんもせえへん。帰るんや」
面会に来ている息子「ほな、帰ったらみんなでご飯食べようか」
老人ホームにいる祖母「そうやな」
面会に来ている息子「今日はすき焼きやしそれでええか?」
老人ホームにいる祖母「そうやな。ええで」
・
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こういう会話を続けていくうちに「帰る」という気がどこかに行ってしまうのを待ちます。
最初の会話は何から始まったのか忘れてしまいます。
認知症ケアは共感をすることで相手も自分も落ち着いてケアができます。
そしてもう一つ重要なことは、
「忘れることを利用する」
ということです。
◆ 絆は共感から。
島根県出雲市にある認知症患者デイケア「小山のおうち」では、失敗すると拍手してもらえます。
スタッフが「今日はどんなことが楽しかったですか?」と質問すると、利用者が「忘れた」と答えます。
すると他の参加者たちからパチパチと拍手で賞賛されます。あと「いいね」がたくさんもらえます(笑)
認知症患者が間違ったことをしたり失敗したら叱られるということを止めると、本人が笑顔になったという事例です。
こうして共感することで絆が生まれます。結果としてケアがしやすくなり、患者とケアする側との関係性も良くなります。
まじめ一辺倒で間違いが許せない人にはできにくいケアです。
認知症ケアはケアをする人の心の余裕が必要です。
多少のことは目をつむるんです。
もう笑うしかない。笑いましょう。それでいいんです。
それでは最後まで読んでくださってありがとうございました。
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毎回ためになる記事をありがとうございます。今回の内容が大変素晴らしかったので、高校生向けに書いている私のブログでこちらの内容を紹介させていただきました。事後報告で申し訳ありません。これからも、私の未知の分野を色々教えていただきたく存じます。ありがとうございました。
サボテンさん>>コメントありがとうございます。
まったく問題ありません。むしろありがとうございます。
記事を書く活力になります。
すごく共感できる記事でした。
母に何度も同じことを言われてイライラしたこともありますが、アルツハイマーと診断されたとき、専門医にくぎを刺されたことは「相手を否定しない。まちがったことを言っていても怒らない」で、あとあとその言葉をいつも心にとめていました。経験上、本当にその方がお互い楽なんですよね。笑って受け流す、私を子供と認識してくれなくてもその時に母が思う人(ナース、母の従妹、ご近所さんなど)を演じればすごくご機嫌で話も続くのです。「忘れることを利用する」術も自然に身に着けました。在宅での介護は24時間ですから、きっともっと大変なのでしょうけれど、ピストンさんの書かれていることを実践されたら、気持ちが和らぐことも多いと思います。
ようこくんさん>>コメントありがとうございます。
私もようこくんさんの記事を拝読して大変共感しましたよ。
「「◌◌だったら、××するのに~」と条件付きで言う人は結局しない」
とは、まさしくと思いました(笑)
介護とお葬式等は大変でしたね。。。
今後の旅ログ、楽しみにしていますよ!
ピストンさん、ありがとうございます。励みになります!