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看護師の本やマンガなどを読むと、よく出てくるのが「やっかいな患者」です。

病院にはいろんな患者がいますので、年齢も疾患も生活背景も既往歴もその他すべてが人それぞれです。

通常、入院しているのは「もっと良くなる」ために入院しているのであって、患者の疾患を治したり症状を改善したりするために入院しているでしょう。医療職はそのためのサポートをすることになります。

ところが、中には良くなりたいと思っていないんじゃないかと思える患者がいます。また、患者であることを武器に医療職を奴隷のように扱う患者もいます。

私がビジネスマンをやめて看護師になったとき、それまでにもこういう患者がいることは一般常識的に知っていました。看護師になって実際に病院で働いてみると、「あぁ、こういうことか」「どこかで聞いたわがままな患者か」と今まで知っていたあのような患者は実在するんだと妙に納得したものです。

ではわがままなとは?やっかいなとは?

そこには患者と医療職との間に考えや思いの溝があります。




◆ リハビリ入院で、できるのに「やって。やって」と言う。

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看護師は観察力が命ですから、見ていないようで実は患者をよく見ています。

昼間、ちゃんと自分でベッドから起きて靴を履いて車いすに自分で移っているのを確認しています。しかも毎日。

ところが夜間、ナースコールがあり、ベッドのすぐ横のポータブルトイレに移りたいと。起き上がれないので「起こして」、靴が履けないので「履かせて」、ベッドからポータブルトイレに移れないので「移して」。

この患者は昼間自分でポータブルトイレに移って用を足しているのです。

ところが夜になると、とたんに「やって、やって」ちゃんになります。

こういう患者に対して看護師は「自分でできるからやりましょう」と言っても、患者は言うことを聞きません。

いままでの経験上、「やって、やって」ちゃんになっている患者は言っても聞きません。逆に「あんたはひどい人や」「なんて冷たい人間だ」と悪態をついてきます。そして周りの患者にも、リハビリスタッフにも「あの人は何にもやってくれない。ひどい人や」と悪く言いふらします。

もちろん、そんな患者ばかりではないことは承知しています。しかし、実際の病院には多いのです。こういう患者が。

特に高齢者が圧倒的に多い。これは統計ではなく私や知人の看護師と話していて実感することです。


こういう話をすると、「きっと寂しいんだよ。寂しいから甘えてくるんだと思うよ」という返事がかえってきます。

実際にその場にいると、たしかに「甘えている」のかな?と感じることはあります。

できるのに、やらない。

わざわざ介助をされたいのか、それとも人恋しいからなのか、やってもらうというお客様感覚を味わいたいのか、それとも今だけたまたま体の調子が悪いのか・・・・


◆ できるから「自分でやってください」と言うと、本人や周りの患者から「こっちは病気なんだぞ。かわいそうだろ!」と怒られた。

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こんなことがありました。

リハビリ目的で入院している患者さんで、夜間尿器を使用しています。自分で尿器を陰部に当てることができます。でもたまに尿器から尿が漏れてしまい、シーツ交換をしなければいけないことがあります。この患者さんは自宅に退院する予定ですから、自分でちゃんと尿器を使えないといけません。今は入院中から自宅退院に向けて尿器の練習中です。この患者さんは足が不自由で夜間一人でトイレに行けません。かといってオムツだと家族の負担、経済的な負担があり、尿器を使えたら介護もお金の負担もないということです。練習中だから、失敗もあります。そのために練習しているですから。本人はやる気です。

ところが、隣の患者がクレームを言ってこられました。

「あの患者は病人なんだ。どうして看護師がおしっこを取ってあげないんだ!自分でやれとはなんだ!かわいそうだろう!!」

どう思いますか?

自分でできるように練習しないほうがいいんですか。

自分でできないままのほうがいいんですか。

病人はお世話にかかっておけというわけなのでしょう。

ここは自分でできることを増やすためにリハビリをしている病棟ですよ。


別のケースで、車いすの患者で自分でこいで移動できる方がいました。普段から自分で車いすをこいでどこへでも行かれます。洗面やトイレやお風呂や、リハビリルームなどへ。

ある日のこと、私が別のある患者の車いすを押して廊下を歩いていました。この患者は自分でこげません。だから私は車いすを押して移動していたのです。

で、先述の患者が

「なんであの患者には車いすを押すのに、私は押してくれないの?私も押して!」

と怒って言ってきました。

説明をすると、「そんなん知らないわ!もういい!」と拗ねてプイッと行ってしまいました。


ここはリハビリ病院です。できる事は自分でやるのです。そのほうが患者も自由でいいんです。

看護師の手がかからなくなってくれば、それはリハビリの「成果があった」ということです。


しかし世の中には看護師を召使のように思っているのか思っていないのか、あれこれちょっとしたことでナースコールを押してやってもらう方がいます。

語弊がないように言いますが、できない人は遠慮なく呼んでください。必要なら介助しますし、サポートもします。しかし、看護師がいなくてもできる人は、ぜひ自分でやってほしいのです。こけないか不安なら見守ります。そうしてでも、できる人はやってもらいたいのです。


実際にやらない患者、自分でやらすのはひどいと感じる患者には、過去たくさん会いました。

まだまだこういう考えの方はいます。何度もいいますが、高齢者に多いのが実感です。


◆ 自分で身の回りの事は何でもできて、一人で車いすで新幹線に乗って京都から東京まで出張に行けるのに、病棟では「布団をかけて」とナースコール。

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見出しのように、一人で何でも身の回りのことができる車いすの患者がいました。

仕事もしているようで、一人で新幹線に乗り京都から東京まで行けます。

でも夜勤中にナースコールがあって、

「寝るから布団をかけてください」

と言われます。毎晩です。

他の看護師たちも自分でできることは知っていますから、だんだん疎遠な感じになってきました。

そう、特にリハビリ病院では、自分でできることは自分でやるというのが鉄則です。

こういう明らかに自分でできるのにやらない患者は嫌われます。


こういう患者はこっちが言うと

「いや、できないんです。できないから呼んだんです」

と決まってこう言います。

いやいや、できますから!知ってますから!


こうした患者は必ずいます。

看護師になって目の当たりにして驚いたことの一つは、こうした患者が少なからずいることです。


私の考えですが、私が仮に病気やケガをして入院したら、早く治して帰りたいです。

できれば看護師の世話になりたくないし、自分でできることは自分でしたい。そのほうがいつもの自分ですし、なにより自由です。


◆ 医療は国民が自ら健康になろうとしなければいけない。


医療法 第一条の二2 医療は、国民自らの健康の保持増進のための努力を基礎として、医療を受ける者の意向を十分に尊重し、病院、診療所、介護老人保健施設、介護医療院、調剤を実施する薬局その他の医療を提供する施設(以下「医療提供施設」という。)、医療を受ける者の居宅等(居宅その他厚生労働省令で定める場所をいう。以下同じ。)において、医療提供施設の機能に応じ効率的に、かつ、福祉サービスその他の関連するサービスとの有機的な連携を図りつつ提供されなければならない。


ほら。法律に書いてありますよ。

「国民自らの健康の保持増進のための努力」これがあって医療が成り立つのです。

医療の基礎ってちゃんと書いてあります。


一人一人が健康になろうとしなければ良くなるものも良くなりません。健康とは病気やケガがない状態をいうのではなく、たとえ慢性の病気があろうと後遺症があろうと、その人が安定して暮らしていける状態のことです。

リハビリは自分からもっとできるようになりたいと強烈に思うことから始まります。そう思う人は後で必ず成果が出ます。

せっかくリハビリ目的で入院しているんですから、やらないともったいない。



それでは最後まで読んでくださってありがとうございました。

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