ポジティブシンキングという言葉を聞いたことがあるでしょうか。
「プラス思考」や「積極思考」とも言われ、物事を前向きに捉える考え方を指します。
おじさんが、「オレなあ、血圧が高いねん。170くらいかな。どうや!」って自慢をしてくる人がいます。
私が以前に会ったことがある人は糖尿病でしたが、「おれな。血糖値が500超えてるねん。すごいやろ」とこれまた自慢話しを聞かされました。
このように、なぜかこうした事については自慢として扱われることがあるのに対して、他人には言えない恥ずかしいとされている病気があります。
例えば、統合失調症とかその他精神疾患。自閉症。などなど。
認知症もそうです。
恥ずかしい病気と考えている人はたくさんいます。
家族が認知症になったら、近所に知られないようにしたり、職場に相談できなかったりします。
また、社会福祉を利用しようにも、認知症と知られることを嫌がりサービスを利用しなかったり、ヘルパーさんが家に出入りするを近所の人に見られるのを嫌がったりする方もいます。
はたして認知症は恥ずかしい病気なのでしょうか。
他人の意識を変えるのは難しいかも知れません。
でも自分を変えることは、実は何歳になってもできます。
自分を変える。
良い方向に変える。
「そんなの、できない」と思うのは単に思っているだけ。できない理由を自分で考えて、それで納得してしまっているだけ。
いくつになっても自分を変えることはできます。
結局、自分がどう思うか。感じるか。これに意識が左右されていると言えます。
どうせ生きるならポジティブな生き方をしたいものです。
ではポジティブシンキングになるためのちょっとしたマメ知識です。
◆ ポジティブとネガティブは「3:1の法則」が理想。
ポジティブとネガティブの比率は「3:1」が理想といわれています。
ポジティブな発言や考えを多くすることで、どのようなデータが集まるのかといいますと、
アメリカで経営状態のよい会社の会議録を調べると、ポジティブな発言がネガティブな発言の3倍あったことなどが根拠になっているのです。
ポジティブ・ネガティブ比が高いほど、クリエイティブな発言が多く、活気や柔軟性にあふれ、業績につながっていると分析されています。
これから例を出すと、相手に小言を一つ言いたいときは、
ほめて、小言を言って、ほめて、さらにほめる。そうすると、3:1になります。
こうすれば小言は有効に働きます。
言われた方が素直に聞いてくれる可能性が高くなります。小言だけを言われ続けたら、相手は心を開いてくれなくなるかもしれません。
こちらが正しい指摘をしても、相手にとってネガティブな内容だったら、3:1の比でなくても、せめてポジティブ・ネガティブ・ポジティブと、楽しく始めて楽しく終わることを心掛けてみてはいかがでしょうか。
叱るときもそうです。
なんだかめんどくさいなあ、と思うかもしれませんが、これからの時代はこうしたことも必要になってくるのでしょう。
◆ 幸せになるための4因子
慶応義塾大学の前野教授の研究で、健康な10歳代から70歳代までの各年齢層の日本人男女1,500名を対象にして、29項目87個の質問をおこなって幸せの要因を調べました。
その結果、幸せの4つの因子が明らかにされました。
①やりたいことに挑戦できる。
②周りの人々に感謝して他者を喜ばせる。
③何とかなるさと前向きで楽観的。
④他人の目を気にしないで、今の自分をまるごと受け入れる。
認知症本人も家族も、内なる偏見を捨てて、認知症にオープンにして生きることが幸せにつながると思います。
◆ 他者を変えるより、自分を変えた方が早くて簡単。
特に④の「他人の目をきにしないで、今の自分をまるごと受け入れる」というのは、意外と周りにいます。
年配の方に思い当たることがあるのではないでしょうか。
昔と違って最近は、こういう人、特に比較的若い年齢の方に多く見かけませんか?
「最近の若いもんは、ちゃらちゃらして」
「なんだあの変な格好は。あれのどこがいいんだ」
「スマホばっかりいじって。もっと紙の本を読んだり新聞を読んだりしろ」
「赤や白などのフレームのメガネをかけて。メガネってもんは黒縁が一番相手の印象がいいんだ」
そういう風に他人を見る人がいるでしょう。
でも、相手からしたらあなたのことを気にしているわけではありません。
自分がいいと思う格好をしているわけです。
それについて相手がどう思うかは、相手の課題です。自分の背負う課題ではないということです。
自分の格好を嫌がる人は、相性が悪かったんだと考えて、もう付き合わなかったらいいだけ。
「こんな格好をしてて、相手から変だと思われたらどうしよう」
これは相手の課題を自分も背負っている考え方です。自分の格好を見て、どう思うかは、相手の課題だということです。そこに踏み込むから自分がしんどくなる。
「認知症の家族がいるからって、それがどうした。もともとずっと家族なんだ。今も昔も家族に変わりはないよ。
あんただって、将来認知症になるかもしれないじゃないか。みんなそうだろう?」
と吹っ切れれば最高に自由に生きられるでしょう。
ただし「お手手つないで、よーいどん」が良しとされる日本では、他人の目がどうしても気になってしまいます。
なので、ちょっと訓練が必要でしょうが、いづれにしても他人の目が気にならなくなると、とたんに楽になり自由になります。
これは別に他人に迷惑をかけてもいいという意味ではありません。白いフレームのメガネをかけていたところで、誰にも迷惑になっていないでしょう。
「Honda」と大きく書いてあるライダースジャケットを着て、ハーレーに乗っていても別にいいじゃないですか。そういうことです。
あと一つ、いい事として、昔と違って世間は認知症についての理解が広がってきています。
認知症に限らず、いろんな病気に対して徐々に世間の理解が広がっている。
昔に比べて、街で車いすの人を見かけても、みんなあまり気にしなくなってきていると思いませんか。
昔は車いすで移動していると、好奇な目で見られたこともあったと聞きます。
世間は確実に、病気を持っている方、障がい者に対して、理解が広がっています。まだまだなところはありますけど。
認知症は恥ずかしい。そう思っている人はまだまだ大勢いらっしゃるでしょう。
世間には「寛容」に向かう大きな川の流れが出来てきています。いずれ「恥ずかしい」なんて思いは誰もしなくなる時代がくると思います。
ポジティブに生きることは、運も引き寄せます。
自分はいつでも誰でも変わることができます。
それでは最後まで読んでくださってありがとうございました。
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義母が認知症と診断されて、かれこれ2年。
今は、要支援から要介護になりデイサービスに通ってます。
最初は被害妄想が多く、新進衰弱の傾向があったのですが、
最近は結構穏やかに過ごせるようになりました。
今思うと、本人は、最初偏見などが怖かったのかもしれません。
nicolas さん>>認知症の方は「なんか自分はおかしいなあ」と漠然とした変化を感じることがあるといいます。うまく自分で表現はできなくても、最近自分はおかしい、と感じることがあるそうです。ただ多くの認知症患者は自分が認知症とは気が付かないことがあります。なぜ周りが私にやいやい言うのか?なぜここにいるのか?分からないことがあります。
そして認知症患者は「環境の変化に弱い」です。
新しい場所や暮らしについていけない。新しくデイサービスに行くとか、入院するとか、施設に入るとか、新しい環境にすぐに適応できないことが多いのです。
しかしそれでも根気よく続けていくと、だんだん慣れてきて、ここはいてもいい所なんだと馴染んでくるものです。
職員の名前は覚えなくても、顔はなんとなく知るようになり、「ああ、この人はなんだか知っている」「この人はやさしい人だ」とスタッフにも慣れてきます。
人にもよりますが、時間がかかるものです。
落ち着いてくると本人もスタッフも安定して関われるので、今の状態はよい状態なのではないかと考えます。
コメントありがとうございます。
ご丁寧なお返事、感謝です!
ピストンさんの仰る通りだと思います。
最近は、かつての不安な気分は減り、要支援から要介助になったのをキッカケに通所日を少し増やしたら、デイサービスの場所は、既に第二の自宅のように感じてくれているようです。
nicolasさん>>それはとてもいいことですね。
そうなれば本人と家族、介護サービスの三者がいい関係になります。
この状態が長く続くといいですね。